SHIKIMEI INTERVIEW 09 - 岩崎 貴宏 TAKAHIRO IWASAKI
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閃きの扉。

あの時のままで、いいじゃん!

岩崎貴宏
1975年広島県広島市生まれ。広島市立大学芸術学研究科博士後期課程終了(2003)、エジンバラ・カレッジ・オブ・アート大学院修了(2005)。第57回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展(2017)日本館代表作家。近年の主な個展に「ひかりは星からできている」URANO(2017)、アジアソサイエティNY/黒部市美術館/小山市立車屋美術館(2015)。参加国際展に第10回リヨン・ビエンナーレ(2009)、ヨコハマトリエンナーレ(2011)、第7回アジア・パシフィック・トリエンナーレ(2012)、アジアン・アート・ビエンナーレ(2013)、第8回深圳彫刻ビエンナーレ(2014)。国内グループ展に「六本木クロッシング2007」森美術館(2007)、「日常の喜び」水戸芸術館現代美術センター(2008)、「trans×form - かたちをこえる」国際芸術センター青森(2013)、「日産アートアワード2015」BankART Studio NYK(2015)等多数。現在も広島を拠点として国際的に活躍する現代アーティスト。

取材・撮影 SHIKIMEI
video by Raita Naka (a.k.a raitank)
photo by Isao Kimura
text&interview by Motoko Hoshi
design by Masaru Ishiura (TGB design.)
Programming by Jun NAKAJIMA (incode inc.)
協力 岩崎貴宏/URANO

岩崎貴宏さんのアート作品には、歯ブラシや本の栞、タオル、使い捨ての弁当箱など身近なものが多く使われています。そのせいか作品を観ると日常モードのまま鑑賞スイッチがしぜんにON。「?」「!」「!?」と2度見、3度見してしまいます。作品は動かないのに、こちらの視点や心が動きます。そんな鑑賞者の反応を見ることも楽しいという岩崎さん。折しも2017年の晩秋、イタリア(ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展)と日本(URANO)で社会的な視点が色濃く反映された作品を展示中の岩崎さんに、アーティストとして脚光を浴びる現在に至るまでの軌跡や背景にあるものをうかがいました。

#01

CHILD'S PLAY

子供時代の遊び

——岩崎さんのアートへの目覚めというか、きっかけを知りたいです。どんな子供時代を過ごしていたのでしょうか?
岩崎「もともと両親が自営業でケーキ屋をやっていまして。周りの友達の親はサラリーマンが多くて「何やってるの?」って聴いても「文字とか計算したり?」と何をやっているのかよくわからない。僕の父親は、生クリームを塗ったり、卵を大量に割ったりと目に見えることをしていて。ものをつくって、それを売って、帳簿をつけて頭を抱えている…みたいな(笑)。「やっぱりゴールデンウィークはよく売れる」とか"何かをやって、何かを得る"ということがわかりやすかったんですね。それで"自分がつくったもので人に喜んでもらうことをする"ということが自身の原体験になりました。両親はものをつくることが好きな子に育てたかったようで、商店街にある洋服屋さんからYシャツの裏に入れる厚紙をもらってきては「これで工作しな」って渡してくれて。厚みもあるしやっぱり広告チラシとは訳が違う(笑)。セロテープはどんなに使ってもよかったので、よくロボットとかつくっていましたね。」
——岩崎さんは広島出身ですが地域的な影響は?
岩崎「通っていた小学校が海沿い近くにあって、校庭で泥団子をつくろうとしたら貝殻の破片がいっぱい出てくるんですよね。「何で?」と思って先生に質問すると「ここは何百年か前は、海だったんだよ。埋め立てられてつくられた場所なんだよ」って教えてくれて。信じられないですよね。この固い大地が海だったなんて(笑)。」
——岩崎さんは今回URANOの個展でも地層を作品に取り入れたりしていて、何かが繋がっているのかもしれませんね。勉強は好きでしたか?
岩崎「何がどう繋がっているのかよくわからないですけど、図工以外では理科が好きでしたね。地図を見て、ここは昔海だったんだ!大陸が動いていって昔は離れていたけれど今はくっついてここにあるとか。見えているものが真実ではなく全てでもない。変化していくという。星の動きにも関心があって、課外授業で友達と星座を観察しに行くのは楽しかったですね。宇宙には太陽や惑星があるんだ!って。顕微鏡でミトコンドリアを覗くのも大好きでした。憶えるのが苦手だったので、テストの点はとれないんですけど(笑)。想像するのが楽しかったですね。思えば小学校の時は色んなものが好きだったけど、時間の経過と共に煮込まれて、どうでもいいようなものは蒸発していった。40年間煮込まれて残ったのは、エッセンスのようなもの。結局ミトコンドリアは焦げつくまで煮込まれて(笑)。」

#02

HIROSHIMA BASED

昨日の自分をなかったことにできない

——そうして岩崎さんの本質が残っていったのですね。現在広島ではどんな生活を?
岩崎「この2〜5年くらいは作品しかつくっていない生活ですね。自分の時間なんて全然なくて、とにかく制作に追われる日々ですね。僕はどちらかというと、期待に応えたいと、オープニング直前まで根を詰めて制作してしまうタイプです。ヴェネチアでの展示もほぼ新作だったので、決まってから9ヶ月引き蘢って制作していました。僕は "ひとりベンチャー企業"の社長みたいなものなので、ずっと休みなく制作やマネージメントをこなしています。昔はもうちょっと学生のノリだったのが、だんだん抜けてきましたね。」
——学生のノリとは?現在の岩崎さんとは何が違うのでしょうか。
岩崎「学生のノリって思いつきでつくれるというか「面白そうだからやっちゃえ!」みたいな。昨日の自分をなかったことにして新しいことができる。でも今は一作家として、昨日の自分がやったことを、今日引き継いでいかなくてはいけない。発言や、やってきた筋道を立てるということを、今はある程度一貫性を持たせながらやっている状態ですね。」
——その自覚を強くもつようになったきっかけは?
岩崎「10年前くらいにアーティストの柳幸典さんと出会ったことです。イギリス(エジンバラ・カレッジ・オブ・アート)の修士を修了してから帰ってきて、母校の広島市立大でティーチングアシスタントを依頼された頃、柳さんが准教授として来られていて。「岩崎の作品はそれぞれ面白いと思うんだけど、作風やテーマがコロコロ変わるから、観る人が同一作家として認識しづらい。観客が作家を認知する速度をもう少し意識してみては」って助言してくれたんです。」
——いい出会いですね。広島市立大って岩崎さんを筆頭に「チームやめよう」とか面白いアーティストを輩出していて気になります。
岩崎「僕は広島市立大の一期生なんですよ。本当は地元から県外に出たかったんですけどね。他は落ちての合格だったから、ココにはタイミングとか運とか、何かがあるなと。」
——ポジティブですね(笑)。岩崎さんは身近なものを使ってアート作品を発表されています。2011年の横浜トリエンナーレでは毛髪で作品をつくられていて衝撃的でした。
岩崎「天体望遠鏡から見えていたのは、福島原発の3つの鉄塔をモチーフに自分の髪の毛でつくった作品です。3月に震災があって8月に展示が始まるまでの考えている時期、社会は放射能の話題で占められていました。原爆で被ばくした広島では小学校の平和教育が盛んで、特に文学での被ばくした女の子の髪の毛が抜けるという話がトラウマでした。放射線が人体をつらぬくと白血病になって、髪の毛が抜けていく。抜ける髪の毛、一本一本が徐々に死に近づくことを意味していて。震災当時、ドローイングしていて髪をかきあげると紙の上にポロっと髪の毛が落ちてきて、僕も三十代半ばで年齢的にも髪が薄くなって抜ける頃と重なって、僕自身の死を予感させる肉体の衰えや放射能を暗喩させるものとして作品に使ったんです。僕の中ではそんなプロセスもあってその展示は1つのターニングポイントになりました。鑑賞者には「髪の毛だ!」という驚きだけでも充分ですが、作品を見て興味をもって調べてくれたら、そのプロセスを知って「この作家は広島出身で…」と文脈を理解してもらう情報化時代のあり方もありなのではないかと。」
——アートでは作家の文脈は大切でそれも面白いところですよね。現在「逆さにすれば、森」でヴェネチア・ビエンナーレに参加中ですが、キュレーターは金沢21世紀美術館の鷲田めるろさんですね。
岩崎「めるろさんは10年程前に僕が教育について書いたテキストが面白いと、広島に会いに来てくれたことがあったんです。そこから作品を知ってもらえて、金沢の町屋でふとんを山に見立てて鉄塔の作品を展示したのが2010年。その後の黒部市美術館、小山市美術館に巡回した個展も観に来てくれました。当時金沢21世紀美術館の学芸員アシスタントだった方が黒部に移られて…と繋がっていって、星座を描いていくような感じでした。」
——ご縁ですね。ヴェネチア・ビエンナーレ参加はイメージしていましたか?
岩崎「僕のイメージだとヴェネチアは作家人生の中でもっとゆっくり目指していくようなイメージでした。」
——作品を世界に伝えるチャンスともいえるヴェネチアでやりたかったことは?
岩崎「単純かもしれないけど、見に来てくれた人に面白いって"興味を持ってもらう"ということですかね。作品は作家の思考を探る起点でありサーフェス。それを大切に作品をつくっています。ビジュアルから何も説明しなくても、まずは何かを感じてもらって、そこから興味をもってもらえたらと。」
——岩崎さんの文脈や体系も見えてきますね。"リフレクション・モデル"の新作も発表されていましたが、鑑賞者やメディアの反応はいかがでしたか?
岩崎「実はヴェネチア滞在中は分単位で取材などが入っていて現地ではかなり忙しくて。設置後にすぐ帰国してそのまま能登や東京やシカゴでの展示のことを深く考えたりしていてフィードバックはまだできていないんですよ。ヴェネチアはもの凄い数の来館者で溢れかえっていて好評のようでした。そうそう、ヴェネチアが決まってイギリスの大学(エジンバラ・カレッジ・オブ・アート)から連絡があって、名誉博士を授与してもらえることになったんですよ。僕、マスターしか出ていないのに(笑)。」
——賢いというかイギリスの大学ってPRが上手いですね(笑)。

#03

EXPORT MYSELF

植物のように自分を輸送する

——ところで、どうして日本を離れて海外の大学院へ行こうと?
岩崎「その頃すでに広島で"リフレクション・モデル"(上下で反射したように見える木製の建築模型)で金閣寺をつくっていて。「これで、世界で有名になれるぞ!」と東京の銀座にある画廊を借りて、色んな人を呼んで個展を開催したんです。だけど、正直よい評価は得られませんでした。それでも外国の美術関係者の人には興味を持ってもらえるだろうと漠然とですが自信はありました。僕は現代アートの基本構造って自国のナショナリティとかアイデンティティを作品にリプレゼントすることがコアだと思っていて。海外の有名な作家を見てもアイデンティティやルーツを大切にしている。それが世界で闘う最低条件だと思っていたんです。東京での初個展では広島から車に作品を積んで運びましたが、海外に作品を持って行こうとすると飛行機か船を使って100万円単位で輸送費がかかる。だけど輸送費を出してくれる人もいない。それで日本は四方を海に囲まれた島国なんだという見えない壁を理解しました。その壁をどうにかしないと世界に出られないと思ったんです。そこで、モノを輸送するのではなく自分の知識や経験を輸送しようと考えました。その土地の土を使って自身のDNAを展開する植物のような戦略です。そんな構造を展開できる発想が必要だなと。」
——"リフレクション・モデル"が生まれた経緯は?
岩崎「二十歳くらいの頃、西洋のコンセプチュアルアートやミニマルアートに憧れていたんですが真似をしていても世界で評価されないのではと思い、海外で評価を受けている日本の文化を分析したんです。例えば、ドライランドスケープともいわれる枯山水は、石だけで海を表現している一種のインスタレーションですが、両手をパンと鳴らした時にどっちの手が鳴っている?というように自己回帰していくような、変な問いを生みだしていく禅思想が現れています。その枯山水の概念を僕の中で推し進めて、目に見えない水面を表すために建物を上下につくったのが"リフレクション・モデル"なんです。それで、これはいけそうだなって(笑)。」
——手応えを感じたのですね。建築的なものへの関心は昔から?
岩崎「中学では漫画家に、高校ではデザイナーになりたかったんです。それで大学ではデザイン系の学科でしたが専攻がわかれる時に面白い先生が空間造形にいたので建築も学びました。模型を細かく細部までつくるのが好きでしたが、先生に「フローリングに1本ずつ溝を掘って板の間をつくるな。リアルにつくるなよ」とか言われて次第に建築に興味を失って、自由に作れるものにタガが外れていったんです。アートは正しく生きなくてもいいし、クライアントの注文も聴かなくていい。そうして全部自由になると表現がフラットになっていったように思います。」

#04

ART CONSCIOUS

あの時の僕が目を覚ます

——タガを外してアートに向かったのですね。イギリスの大学では現代アートを?
岩崎「広島ではアートはデザインの延長的なものだったけれど、イギリスで初めてアートの面白さを意識できました。小さい頃に厚紙でロボットをつくっていたことに帰っていったんです。子供時代につくっていた紙工作をやめた理由は、当時は友達にも見せずに自由気ままに夢中でつくっていたのですが、中学の親友に懇願されて思わず見せてしまったら「わ、雑!」と言われたことがショックで。セロテープがはみ出した洋服の厚紙で作った紙ロボットがその瞬間から汚く幼稚に見えてしまった。14歳で思春期だったからすごく恥ずかしくなってやめてしまった。だけど、イギリスの友達の工作を見ていると「できた!」っていう瞬間のイメージを大切にしていて、のりがペロッとはみ出していても気にしない。イギリスでは技術的な完成度や綺麗さに価値観が集約されていないんです。それで「なんだ、あの頃の僕じゃん!あの時のままでいいじゃん!」って。日本だとセロテープが見えないようにつくるけど、彼らはセロテープは見ない(笑)」
——凄い!見ないし、見えない(笑)。
岩崎「僕の今の作品もそうだと思いますが、海外では一見ゴミのように見える作品が多い(笑)。たまたま僕は日本に生まれて、美大受験の技術訓練を死にもの狂いでやったから技巧的なものも染み込んでいる。だけど、それも含めての今の僕だから遊び心は活かしながらも、技術もオリジナリティの一部としてどうにか共存させたかった。」
——イギリスの人たちの"リフレクション・モデル"への反応は?
岩崎「「凄いじゃん!」っていう人もいれば「こんな苦行はアートじゃない。もっと楽しくやろうよ」っていう人もいて両極端でしたね。手先の器用貧乏が気になっていたけれど、どうしてもある程度キレイにつくっちゃう。海外のアートには、伝えたい気持ちの強さがある。それは、難しいテーマでも。」
——岩崎さんの伝えたい気持ちの素って?
岩崎「やっぱり他者の存在ですね。人が作品を目で見て、認知して、ユーモアを理解して、心の中でクスッって笑うというような。そんな鑑賞者を外から見るのが好きです。」

#05

TRESURE

お宝は身近なところに

——イギリスではどんな作品展示を?
岩崎「鉄塔をモチーフにつくりはじめたのは2005年くらいでしたが、イギリスに行っていろんな素材で作りだしてブレークスルーがありました。鉄塔をシャーペンの芯でつくって直接床に設置していたんです。バリケードをしない作品だったので、鑑賞者は気づかなければ踏んでいく。やればやるほど、壊れていく(笑)。」
——ちなみにシリーズ化されている"リフレクション・モデル"の素材は?
岩崎「ホームセンターとかで売っている角材のヒノキです。もともとはお爺ちゃんの中のサブカルチャーみたいな帆船とかをつくる模型キットがヒントで、サブカルチャーとハイカルチャーを融合させようと思っていました。」
——ヒノキから作品の素材がより身近なものになっていきますね。それはどうして?
岩崎「イギリス留学時代にお金がなかったんです。生きるので精一杯。作品は経済的な余剰がある程度ないとつくれない。だから気づいたらゴミを拾っていた。ゴミはまだ他人のもので、だんだん視点が自分に近づいていって…最後「いま使ってるタオルいっとく?」って自問自答して。結局タオルで作品をつくったから、お風呂からでたらバスタオルもない(笑)。だからどん底の生活での身近なものなんです。ヒノキなど商品は店頭に陳列された時点で誰がつくったかとかプロセスが切断されて見えませんが、日用品のゴミは社会と繋がっていて、プロセスが複雑に絡み合っている"状況"を扱うことができる。落ちているタバコの箱の薄いフィルムのラミネートで作品をつくっていた時期もありました。ちなみにイギリスの人は、ゴミを拾わないんですよ。なぜならゴミを掃除する人の仕事を奪うことになるからって。」
——ゴミを拾わないのがジェントルマン!?(笑)。
岩崎「ええ。ゴミといえどもいつでも同じものがあるわけではなくて、せっかく道ばたで心惹かれるゴミに出会えても、ゴミ掃除の人が先にパッと持っていっちゃうこともある。意外と瞬間瞬間で同じものには出会えない。一期一会。道に落ちている綺麗なラミネート付きのタバコの箱を発見した時って、すっごく嬉しいんですよ。ゴミなのに(笑)。」

#06

EXHIBITION

東京の展覧会

——岩崎さんにとってURANOってどんな存在ですか?
岩崎「重要な基地のような。地方の広島に住んでいるので大都市に拠点・中継地点があるのは重要だと思っています。」
——恩返しされたのでは?
岩崎「10年前から将来性を買ってくれたわけですから、そうだと良いのですが、いっぱいお金使わせてるから恩返しはできてないかな。所属しているのは10年前くらいからで今回5年ぶりの個展になります。毎年のように個展しようと誘ってもらっていましたが、外から展示の依頼があったりで、ようやく実現できました。」
——URANOだからできた作品はありますか?
岩崎「例えば今回の展示でいうと、作品としては売れないのに画廊の大きな壁を使ってつくった星座の作品ですね。3日くらいかけて細かい星座を描きました。」
——よく見ると星の中に企業のロゴが混じっていて現在のひかりを感じたり。
岩崎「飛行機に乗っている時に、下は夜景、上は夜空で、リフレクトしているなあと。遠くからみたら宇宙に見えるけど、近づいたら視点とともにスケールが変化して夜景に見えるのは面白いんじゃないかなと。夜になると24時間の店舗やグローバル企業のロゴは強くひかってよく見えるけど、おばあちゃんがやっているような小さなお店のひかりは見えない。夜景は資本主義経済の今を見ることができます。今は停止中ですが、夜景は原発の核分裂したエネルギーから出来ていて、一方で宇宙の恒星も核融合でひかっていて、その類似性もあります。」
——タイトルの「ひかりは星からできている」も興味深いです。
岩崎「アインシュタインは"質量とエネルギーが等価である"と言っていると思うのですが、今の技術では等価ではなくて、質量からエネルギーを少し取り出すことはできる。それを兵器にしたのが原爆で、エネルギーにしたのが原発で…パンドラの箱ですよね。光は手でさわれないものですが、それが物質化した蜘蛛の巣みたいな電線に囲まれて僕たちは生きていて、今はお金持ちではなくても飛行機で飛べる時代。東京上空からみた風景をアイディアに作品がつくれるのも、今生きているからだと思います。」
——鉄塔はエネルギーのシンボルですね。東京タワーの作品の下にはタオルで地層の重なりが表されていて。
岩崎「電線はエネルギーの流れそのものです。東京タワーをひからせているエネルギーは地方からのものだという構図も、周辺作品の新幹線の車窓から見た鉄塔と電線で表しました。首都高を走る自動車のヘッドライト・テールライトの残像は東京タワーをつくった同じ糸でつくっていて、その下にはいつ亀裂が入ってもおかしくない断層をみせています。」
——メイン作品も社会が抱える問題が色濃く反映されているように思われます。黒いビニールの海からそのまま宇宙に広がっていく視覚も印象的で。
岩崎「3.11の津波で一気に日常が壊れてしまったような風景を表していて。難破した漁船や掘削機などは黒いプラスチックの日用品を探してつくりました。原発が爆発してエネルギー問題が顕在化した時に、中国と日本の国境沿いの海洋資源を巡る状況に目が向きました。国境は島の端っこではなく海上にあって、同時にアジアの歴史も遡っていくという1つの海のなかで様々な事象が複雑に関係しあっていることをイメージしています。最近は社会的な観点から自分の作品を問い直しているところです。」
——光やエネルギーをテーマにした本で構成された作品もありますね。本の栞でつくられたクレーンが美しくてはっとしました。
岩崎「これもエネルギーというものが3.11以降とくに顕在化したことからつくった作品です。北斎の表紙になっている《神奈川沖浪裏》は僕の中で津波のイメージと繋がっていて、大きな波の中で人々が翻弄されているという世界観をもっています。もしクレーンが建っていなかったら、ただ本が乱雑に置かれたサイドテーブルですが、人が本を読みながら眠くなって置いたり途中で別の本を手にしたりと、思考や知識が構築と破壊を繰り返す都市のようなメタファーになっています。」
——クレーンがあることで思考が連鎖していくようです。社会に対して作品を通して伝えていこうとする意志も感じられます。
岩崎「やっぱり3.11が自分の中では大きくて。それまではウィットやユーモアを基点に制作していましたが、社会意識が強くなったのは震災の影響が凄く大きいですね。もう少し今を生きている自分の世界を見つめたいと。今「ひかり」をテーマに展示していますが、少し先で検証できればと思っています。僕が大学に入った頃はバブル経済の崩壊でのちに「失われた10年」といわれている。だから当時の先生と学生の価値観には開きがあったのだと後で理解した。僕はたまたま地元の大学の1期生だと思っていたけど、広島を文化の都市にしたいと考えて動いた人がいた。当時はわからなかったけれど、今はどういう理念の元で私という人材が人為的に作られていったか逆に辿って考えることも出来る。今は見えない現実が、未来に見えてくる。5年後、10年後みると、ターニングポイントはあそこにあった!ということを理解したい気持ちがあります。」
——岩崎さんにとってアートとは?
岩崎「時間をテーマにすることが多いですが、とりあえず作品は自分よりも寿命が長く、自分が死んだ後にも残って時間を超えていくものです。だから直感は大事で、直観を抜いちゃうと、時間を超えることはできないかなと。」
——直観的な閃きって、どんな時に?
岩崎「移動中に外の風景を眺めながらぼーっと、考えている時ですね。さっきまで考えていたことと、流れていく風景があわさって何かよくわからないけど何か面白いかも!ということを唐突に思いつくことがある。理路整然としたロジックではなくて、2個以上の何かが捻り合わされて出来た価値観というか、それがスパークしていく感じですね。」
——これからの目標ってありますか?
岩崎「目標は常にもっていますが、不言実行なんです。20年前にヴェネチア・ビアンナーレに内藤礼さんの展示を観に行って、いつかこんな世界を舞台にした所で発表したいと思っていましたし。」
——岩崎さん、作品もですが話もとても面白いですね。
岩崎「ありがとうございます。そんな風に言ってもらえると嬉しいですが、高校生の頃はコミュニケーションが得意ではなかったです。人と話すのが苦手だったし、できれば人と話したくなかったです(笑)。」
——目標や想いがあると克服できちゃうのかもしれませんね。岩崎さんの軌跡と今をうかがえて…これからの活躍をやっぱり期待してしまいます(笑)。本日は、お忙しいなか貴重な時間をありがとうございました!

※本インタビューは2017年11月17日、URANO(東京・品川区)にておこなわれました。