SHIKIMEI INTERVIEW 06 - ob オービー
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少女に仮託された祈りと、
風景に込められた想い。
固有性と普遍性のはざまで。

取材・撮影 SHIKIMEI
協力 カイカイキキギャラリー

2011年に18歳という若さで個展を成功させたobさん。美術関係はもちろん、さまざまな方面から注目を集めてきましたが、2017年、カイカイキキギャラリーでの展示「あわいにゆれる光たち」では、本質的な部分はまったく変わらないまま、いままで以上に伸びやかな世界観を提出し、作家としての成長をまざまざと感じさせてくれました。

obさんがつくりだす絵画の主題、それはひとまず、透明感あふれる〝少女性〟や〝イノセンス〟と言うことができるでしょう。しかし、以前の作品がいくぶん内省的だったとすれば、新たな作品たちは、外界へと開かれ、風通しのよい印象を与えます。

描かれているのは、少女が風景であり、風景が少女でもあるような世界。landscape ならぬ、girl-scape と呼びたくなる場所です。淡々しい光がきらめき、心地よい風が行きわたる景色は、なぜか懐かしく、しかし、どこか喪失感をたたえているようにも見えます。

繊細なマチエールが可能にしたのは、具象であり、かつ抽象でもある、独特の〝あわい〟の空間です。具象と抽象のはざまで宙吊りとなった少女は、夢のような儚さをまといながら、どこでもないどこかで揺れ動いています。固有性と普遍性をめぐるイマジナリーな旅。それを追体験させてくれる作品群です。

CHAPTER 01

普遍的な感覚をめざして。

——obさんは1992年生まれ。ということは、今年(2017年)で25歳を迎えるわけです。とはいえ、活動歴は10年近くになろうとしていて、10代の頃から、グループ展や個展で作品を発表するとともに、同世代のアーティストとも活発に交流し、自身が中心となる企画展も積極的に手がけてきました。

ob 京都出身なので(とはいえ、生まれたのは鹿児島ですが)、最初の個展は京都市内のギャラリーでやらせてもらいました。

——2010年、0000ギャラリーで開催した「飽和」展ですね。弱冠18歳での個展デビュー。早熟といえば早熟ですが、しかし、何かを表現する人間、あるいは、表現せざるをえない人間というものは、いつの時代もつねに早熟なんですよね。

ob ちょうどそのころ、村上隆さんが声をかけてくださって、カイカイキキに所属することになったんです。

——村上さんとの出会いがきっかけになり、2011年にカイカイキキギャラリー台北で「Fragrance」展を、カイカイキキギャラリー東京では「Respiration」展を開催します。2013年には、おなじくカイカイキキギャラリー東京で「乙女の祈り」展を、そして2017年には「あわいにゆれる光たち」展を開く、という流れですね。

ob はい。

——新作を拝見して感じたのが、それまでの作風との切断です。obさんは、一貫して少女性をモチーフにしていますし、新作においても、もちろん少女のイメージが中心となっています。作家の内的な必然としても、画面を構成するうえでの重心としても、彼女たちの存在は欠かせないわけですから。ただし新作では、個別具体的な存在というより、普遍性を表現しているという印象のほうが強い。

ob ありがとうございます。私自身は普遍的な感覚を描きたいと思っているので、そういうふうに受けとめてもらえるとうれしいです。

——余計なものがまったくない気がするんです。不要なものが削ぎ落とされていて、主題が研ぎ澄まされている。ここには原型(アーキタイプ)としての少女が顕現している。そのことに衝撃を受けました。

ob 10代の頃、少女のイメージは、ある意味、自画像のような側面もあったんです。でも、最近の作品で描いているのは、自分のことではなく……。以前、絵を見てくれた方が、何かしら感じてくださったようで、涙ぐんでいたことがあるんですね。そのとき、ちょっと考えかたが変わりました。おこがましい言いかたかもしれませんが、作品をとおして誰かを救うというか、そういう表現をめざしたい。いまはそんなふうに思っています。

——以前はobさん自身が、絵を描くことによって救われていたのかもしれませんね。それが他者へと向けられるようになっていった。そうした救済の感覚が、普遍性や神話性につながっているようにも感じます。

CHAPTER 02

風景を描くということ

——「あわいにゆれる光たち」展では、風景という新しい主題が導入されています。大きな転機になったのではないでしょうか。

ob はい。きっかけとしては『美少女の美術史』展に参加したことが大きいです。

——2014年に青森県立美術館が企画した『美少女の美術史 少女について考えるための16の事柄』ですね。これは江戸期の浮世絵にはじまり、美人画や叙情画、まんがやアニメ、さらにはコンテンポラリーアートにいたるまで、日本文化における少女イメージの浸透と拡散を探るという意欲的な試みでした。

ob このときは、単に作品を出品するというのではなく、1か月間、青森に滞在して、公開制作をしたんです。現地に足を運び、その土地独自の風土や文化、自然環境に触れたことが強く影響しています。

——今回、おもしろいなと思ったのは、描かれている風景が、具体的な手ごたえをもっているにもかかわらず、日本の風景のようでもあるし、外国の風景のようにも見えてしまうところ。ある種の抽象性を醸し出していると思います。じっと眺めていると、ふと、生まれ育った地域の海岸を思い出したりもして……。この風景そのものが、どこでもありうるという意味では、やはり原型(アーキタイプ)という気がするんです。

ob 外国の方からは、すごく日本的なものを感じると言われました(笑)。でも、なぜかなつかしさをおぼえるともおっしゃっていて。

——これは実際の風景にもとづいて描いているんですよね。

ob はい。青森、静岡、島根……。実際に旅をした場所ですね。わたしが育ったのは京都で、どちらかというと都会的な風景に囲まれていたと思います。でも、青森や島根に行ったら、いままで目にしてきたものとは全然違う景色が広がっていて、とても新鮮でした。

——そういえば、生まれたのは鹿児島だとおっしゃっていましたが。

ob といっても、物心つく前に京都に引っ越したので、鹿児島の印象はぼんやりとしたものでしかなく……。こどもの頃の記憶ですから、なんというか、夢のような感じです。風景を描いているときは、そのとき見ていた〝原風景〟みたいなものを、無意識のうちに重ね合わせているのかもしれません。

——現実と記憶が二重写しになっているからこそ、明晰な夢といった趣の不思議な空間が生まれているわけですね。なるほど、そういう意味では、シュルレアリスム絵画との親近性も感じます。

ob あ、絵を描き始めた頃、最初に興味をもったのがシュルレアリスムで、マグリットとか好きでした。あの幻想的で強力なイメージに惹かれてしまって。

——もうひとつ、obさんの風景表現が特徴的なのは、筆触(タッチ)が繊細なところですよね。モネやセザンヌのように、全体としては明快なのに、いざ細部に目を向けると、ほとんど抽象表現に近づいているというおもしろさ。マチエールを眺めているだけでも気持ちがいい。

ob モネは好きですね。ほかには、クリムトやルドンの描きかたを、自分なりに探っていた時期もあります。

——少女のイメージだけをとりだすと、まんがやイラストレーションの影響が大きいと捉える方もいるかもしれませんが、実はobさんの作品には、近代絵画以降の歴史的文脈が流れ込んでいると思うんです。実際、絵画を絵画たらしめる条件である平面性と空間性の相剋が刻み込まれていますし。

CHAPTER 03

絵画における物語性とは何か

——作品からは物語性も感じます。といっても、作品の背後に明確なプロットがあって、それを絵で説明しているという意味ではありません。obさんの作品と向き合ったとき、鑑賞者の内部で、それぞれ固有の物語が起動するというか、見る側の〝内面の鏡〟として機能している気がする。ですから、物語性といっても、鑑賞者が100人いれば、100通りのストーリーがあるんじゃないか……。

ob ありがとうございます。絵画を制作するというのは、やはり自分の中にあるイメージをかたちにしていく作業なんですよね。

——物語を絵解きするのはイラストレーションの役目ですものね。そもそも物語を語るのであれば、小説や映画、まんがといった媒体がありますから、絵画でそれをする必然性はない。むしろ、物語に還元されない〝何か〟を提示しているからこそ、obさんの作品は絵画たりえているのだと思います。

ob あ、物語といえば、村上春樹さんの小説が好きなのですが……。

——非常に納得のいく発言です(笑)。

ob そうですか?(笑) 村上さんの小説は、現実的な場面があったりする一方で、幻想的な出来事もあたりまえのように起こったりして……

——だからといって、そこにリアリティが欠けているわけではない。それどころか、読者は強いリアリティを感じるとともに、作品世界に引き込まれてしまう。おまけに村上作品は世界中で読まれています。歴史や文化の異なる地域で、あれだけ広く受けいれられているのは普遍性があるってことですよね。

ob インタビューを読んだら、総合小説を書きたいとおっしゃっていました。私自身はそのレベルに達しているとは思いませんが、でも、その感覚はわかるんです。総合小説のような絵を描きたいなと思っているので。

——ちょっと脱線しますが、村上さんは『風の歌を聴け』でデビューして、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』と書き継いで、初期3部作を完成させます。その時点で、すでに高く評価されてはいたのですが、続く『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で、小説のモードが大きく変わってしまう。その歩みになぞらえると「あわいにゆれる光たち」展というのは、obさんにとっての『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のような位置づけなのかなと……。

ob いえいえ(笑)。

——村上さんって、寓意や幻想を盛り込みつつも、別に幻想小説を書こうとしているわけではないですよね。それと同じように、obさんの作品も、幻想的な要素は含んでいるけれども、だからといって、幻想の世界を描こうとしているわけではない。わかりやすく単純化すると、現実(こちら側)と幻想(向こう側)があるとして、その中間領域というか、なにものでもないような、移ろいそのものをとらえようとしている。

ob あ、そうです。それは本当にそう。いちばん描きたかったのは〝あわい〟の状態なので。逆に言うと、絵の中の少女たちが、どういうふうに変化するのかは、私自身もわかりません。それは絵を見てくれた方が、それぞれ想像してくれればいいというか。

——最初の話に戻ると、作品の背後に物語性を設定しないってことですよね。obさんの作品は、いわば原型や構造なのであって、そこに物語を読み込むのは、むしろ作品を見る側なのだと。

ob はい。見てくれた方の生きかたや考えかたによって、まったく違う物語がいくつも生まれてくる……。そのほうが楽しいと思いますし、〝救われる〟という感覚にもつながるんじゃないかなと感じています。

CHAPTER 04

他者との共生にむけて

——絵画作品(平面)の深化と平行して、インスタレーション(立体)や映像も印象的でした。世界観が通底していることが大きいのだと思いますが、まったく違和感がなく、会場全体でひとつの作品になっている。総合小説のような作品というのは、こうしたかたちを指すのかとも感じました。とくに、会場の中心に設置された立体作品〈こんどうまれてくるときは〉では、神話的存在としての少女というモチーフが全面に出ていて、次のステップを予感させます。

ob これは『美少女の美術史』展のときに現地で制作したものを、もういちど再構成したインスタレーションです。東北地方に伝わる少女と馬の悲しい恋の伝説がヒントになっています。

——神話学や民俗学でいう異類婚姻譚ですね。馬小屋ということから、イエス・キリストの降誕を連想したりもしましたが……。いずれにしても、聖なるものの存在を強く感じさせる作品です。

ob 少女と馬の姿は礼拝堂やお寺にある天井画のイメージで小屋の天井部分に。それから寺院の山門に設置されている阿吽をイメージして、小屋の右側には口を閉じた少女を、左側には口を開いた少女を描いています。会期中はギャラリーに通いつめて、制作を続けていました。もともとの絵を白で塗り込めて消したりもしたので、『美少女の美術史』展のときのものとは、けっこう変化しています。

——公開制作ということも含めて、生成変化そのものがテーマになっているんですね。つまり「あわいにゆれる光たち」展では、さまざまな水準の〝あわい〟が混在している。肖像と風景のあわい、具象と抽象のあわい、平面と立体のあわい、絵画と映像のあわい、自然と人間のあわいといった具合に。そして、変化のただなかにある状態をシンボライズしているのが……

ob はい。少女です。

——あらためて繰り返すと、かつて自画像のような存在だった少女が、いまは異なる存在と共生するための原型へと変化している。他者との共存というテーマは、いまの社会にとっても重要な意味をもっていますね。

ob 馬と少女のように、おたがい異質なもの同士が、越えられないと思われている境界を乗りこえ、その結果、これまでとは違う〝何か〟へと変化していく。その状態をなんとか表現したかったんですよね。私にとって少女というのは、ひとつのフィルターというか、物事を象徴化するために必要なかたちで、彼女たちの姿や佇まいをとおして、未来への可能性を感じてもらえるといいなと思っています。

——今日はありがとうございました。今後の活動にも期待しています。


(2017年2月21日、東京都港区のカイカイキキギャラリーにて。「あわいにゆれる光たち」展は、2017年1月20日から2月23日にかけて同ギャラリーで開催された)

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