SHIKIMEI INTERVIEW 08 - 田名網 敬一 TANAAMI KEIICHI
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田名網敬一インタビュー

イマジネーションへの挑戦。

人間はどこまで「想像力」に
追いつけるか?

取材・撮影 SHIKIMEI
協力 田名網敬一/NANZUKA

田名網敬一 Profile
1936年東京都生まれ。武蔵野美術大学卒業。京都造形芸術大学大学院教授(1991〜)。
1960年代からメディアやジャンルの境界を横断して精力的な創作活動を国内外で展開し、日本のポップアートの先駆者として知られる。近年、若いアーティストからの熱い支持や国際的な評価の高まりとともに、ますます唯一無二の存在感を強めている芸術家。
主なパブリックコレクションはThe Museum of Modern Art [MoMA](アメリカ)、M+[Museum for Visual Culture](香港)、National Portrait Gallery(アメリカ)、Walker Art Center(アメリカ)、Nationalgalerie im Hamburger Bahnhof - Museum für Gegenwart(ドイツ)など多数。

アーティスト・田名網敬一さんが生みだす作品世界に驚かない人はいないのではないでしょうか。
この奇想天外な絵は一体どのように生みだされたのだろうかと。
暑い夏の日の午後、想像と創作の時間からすっと現れたような軽みと凄みのある佇まいで、
淡々と時に洒落っ気を交えながら作品のことや背景にあるもの、
そして長い創作の日々について教えていただきました。

#1

PROCESS
つくりながら考える

——NANZUKAでの新作展「貘の札」を体験して、田名網さんの圧倒的な作品世界がどのようにして生みだされたのか興味が尽きません。今回はエッシャーやキリコ、若冲といったアーティストの絵もモチーフとして登場していますね。
田名網「好きなものを引用するという方法は昔からやっているから、1つひとつに“これはこうです”という思い入れはないんです。作品のほとんどは引用から成り立っているといっても過言ではない。僕の絵は細かく100以上のパーツに分かれていて、バラバラに描いた絵をコラージュして1枚の画面をつくっている。ここ10年くらいはそういうやり方をしていますね。最初から構成は決めていません。その時どきの感覚でつくっているから大抵は下書きもなくて、つくりながら考えている。今回の展示(大作含め約10点)くらいだと6ヶ月あればできますよ。」
——作品には爆撃機など死を連想するものも描かれているのに生のパワーや優しさのようなものさえ感じられて不思議です。戦争の体験も反映されているのでしょうか。
田名網「僕の戦争体験が作品に出ているというのはその通り。ただし僕が経験したのは4歳か5歳くらいの頃で、案外、戦争そのものへの恐怖心のようなものはないんだよね。母親とか周りの大人が恐怖で異常な状態になっているのを見ていた。防空壕から出たら焼け焦げて死んだ人が1人や2人ではなく大勢転がっていて…そういう恐怖っていうのは、何十年経っても脳裏に焼きついている。それ以降にも色んな経験をしているけど、あれほど強烈な経験はない。幼少時の記憶ほど、強く記憶として残っているものなんだよね。それが僕の場合は戦争だった。」
——田名網さんにとってNANZUKAはどんな存在?
田名網「この10年間一緒にやってきて非常に重要な場所だよね。南塚くんがいろいろ動いてくれてお互いに協力しながらつくりあげている感覚。「今度こういう風にやりたい」ということに僕が同調すれば実現していく。今回の展示のタイトル「貘の札」も南塚くんが名付けたものだよ。」
——死のイメージすらはねつける護符のような作品群にぴったりですね。田名網さんの作品を魔除けみたいに玄関に飾る人が多いといわれているのもうなずけます。

#2

BORDER
境界を超える

——田名網さんは、グラフィックデザイナーやイラストレーターとして活躍された後に、アーティストとして大成されています。さまざまなメディアやジャンルを横断されていますが、意図して境界を打ち破ってこられたのでしょうか。
田名網「そんなに意図してという訳ではなくて、その時々の状況に応じて、しぜんにこっちの方向、あっちの方向ってね。ペインティングに興味がある時期はペインティングをするというように、現在取り組んでいることがベストと思ってやっている。」
——いつも「今」なんですね。長年平面をやってこられて映像は難しいものでは?
田名網「アニメーションにするのはわりと簡単だよ。僕の絵は、動くことを前提に1つの絵をつくっているからね。これが動いたら?歩きだしたらどうなる?って。」
——1つひとつに物語が生まれそうですね。デザインとアートにはどんな違いが?
田名網「デザインは注文されて制約を受けてつくるもの。アートは自らが発信して自由に表現していくから決定的に違うよね。デザインでは表現しきれないものがアートともいえる。ただ、僕はもともとデザインとアートの間に境界なんて感じていなかったし、デザインを辞めてアートって訳じゃない。アンディ・ウォーホルだってそうでしょ?デザインの仕事はクライアントと電話で打合せした瞬間に完成イメージができちゃっていたけど、発注されてやる仕事っていうのは今にして思えばあんまり好きじゃなかったんだよね。なんの制約もない自分自身の表現というものを、どうしてもしたかった。それで100%自分をだせるわけだからね。それに、アートは各人の主観で観る世界。同じものを最高という人もいれば最低という人もいて、勝った負けたがない。だから、面白い。」
——デザインなどの経験はアート表現の役に立っていますか?
田名網「生粋のアーティストだったら好きなものを描くだけかもしれないけど、僕の場合は状況に応じて色んな課程を知ることができたから、それは無駄になってはいないよね。」
——陶器作品も展示されていて外国の方にも好まれそうです。日本と海外との違いは?
田名網「壷は中国の美術館で展覧会があった時にオファーがあってつくったものだけど、それだって表現は自由。アートとして定着している。海外の人が好むものは日本の人も好みます。ただ海外のギャラリーでは作品が売れなかったら次から声がかからない。」
——田名網作品は初日に完売すると聴いたことがあります。
田名網「驚くことじゃない。国内外にコレクターは沢山いるからね。欧米のギャラリーは、作品を売ることに関して非常にプロフェッショナルだよね。売れない作家は脱落していく。」

#3

PEOPLE
環境は変わる
自分は変わらない

——新作展のオープニングではコシノ・ジュンコさんや秋山祐徳太子さん、伊藤桂司さんといった著名な方や海外の人、若い人たちも大勢集っていて凄い熱気でした。国際的な評価を高めながらも、田名網作品への支持を公言しているカウズ(KAWS)さんや宇川直宏さんたちの影響で、若いファンが増え続けていて末広がりの状況かと。特に若い人との交流が増えたのではと思いますが、影響を受けることってありますか?
田名網「同じ歳の人とは話があわないもの(笑)。周りは若い人もどんどん増えていくけど直接的に影響を受けるってことはないね。環境は変わるけど、自分は変わらない。カウズは随分前から僕の作品をたくさん購入していて、この前もNYのスタジオに行ったけど、月に何十枚ともの凄い勢いで作品をつくっている。人柄もいいし魅力的なアーティストだよね。宇川くんとは2003年頃(SHIKIMEIアートディレクターI氏キュレーションの展覧会がきっかけ)からのつきあいだけど、若いっていってももう50くらい?今年の9月にモスクワでやる展覧会のオープニングで世界的な人気のニーナ・クラビッツっていう美女がDJをする。宇川くんの友人なんだよ。モンキーズやジェファーソン・エアプレインなどサイケデリック音楽のジャケットなんかも沢山やってきたから、音楽を通じて僕のことを知っている人も多いかもしれないね。ストーンズやビートルズとかよく聴くし音楽は何でも好き。最近はもっぱらラジオをつけっぱなしなのよ。さっきデザインの話をしたけど、現在もファッションデザイナーのマーク・ジェイコブスとスケートボードやらTシャツやら色々つくっているよ。着ないのかって?自分の作品なんて着ないよ。だって、恥ずかしいじゃない(笑)。」
——(アトリエの作業机に写真と手紙を発見)この方、篠原有司男さんですよね?
田名網「そうそう、ギュウちゃん。イタリアから送ってきたんだ。学生の頃からのつきあい。返事は手紙で書いているよ。僕の周りって若い頃からアーティストでも変わった人ばっかり。今はみんな有名なアーティストになっちゃった。赤瀬川(前衛美術家・赤瀬川原平氏)も土方巽(舞踏家)も死んじゃったね。そういう人のなかで勉強をしたよ。たまたまね。」
——NY在住の“ギュウちゃん”とは昨年NYで一緒にポップアートの展覧会もされていて長い友情を感じます。タナさんギュウちゃんの往復書簡なんて本があったらみんな興味津々では。それにしても、このアトリエにはもの凄い量の本がありますね。
田名網「この半年で10冊出版しているもの。これは今ブックフェアーをやってる「GINZA SIX」でつくった大判本。秋には過去の作品をひっぱりだした子供向けの「絵本」もだす予定よ。」
——子供たちも田名網さんの絵にびっくりするでしょうね。
田名網「以前ドイツで小学校の通学路にあるギャラリーで展覧会をした時、「これは何だ!」って毎日子供たちが鈴なりになって外から作品を観ているの。飴なんかがついた手でみんなガラスウィンドウを触りまくるもんだから、そのうちギャラリーの人が業を煮やしてガラスの下半分にベニヤ板を貼りつけたってこともあったよ。」

#4

ART&DAYS
創作する日々の掟

——毎日このアトリエで作業されているのですね。大作にはミッキーから松が生えています。このような世界観を生みだし続ける81歳って…心底驚異的です。挫折とか苦しい時期ってありましたか?
田名網「表現っていうのはさ、日常の生活や思考や偶発的な出来事の積み重ねだからね。苦労して生みだすものじゃない。「こうしよう」という強い要求があんまりないんだよね。朝起きて新聞読んだり散歩して、アトリエにいって1日10何時間やって、夜は寝る時間も決まっている。土日もやるし、起きてすぐ絵を描くこともあるけど、サラリーマンよりもきちっとしているかもしれない。規則正しいのが好きなのよ。アート表現って、真面目じゃないと絶対継続できない。アーティストって何でもありって思うかもしれないけど、きちっとした人しか成功していない。ギュウちゃんなんかでもお酒も飲まずに朝から夜まで描いている。そういうもののバランス感覚が崩れている人は芸術家としては向いていない。まあ、もう何十年と規則正しい生活をしていて、楽しみって別にないのよ。好きなことを仕事としてやっているから趣味と一体化しているわけ。いってみれば、つまんない人生よね(笑)。描くこと以外に何かするってことがない。展覧会は世界中であちこち決まっているから、それに向けて粛々とつくっている。それで手一杯だからあんまり余分なことを考える余裕はないの。でもアート表現って、そういう風にしないと、それだけの物量をつくることは出来ない。不安も心配もあんまりないよ。描くっていうことは、バランスがうまくとれるようになっていて、良好な“バランス効果”を生みだしている。何もしないと人間色んなことを考えるから不安にもなる。考えすぎず、そこに集中して描く。家によく若い作家たちが相談しにくるんだけど、悩んでいる時間があったら、まず描きなさいと。」
——今にフォーカスすると不安はなくなると。田名網さんにとってアートとは?
田名網「アートは、生きていくために必要不可欠なもの。精神安定する薬みたいなもの。だからスランプとか行き詰まるとかはないの。そして、それでお金を得ているから、アートは仕事である。」

#5

IMAGINATION
人間にとって必要なもの

——若い人たちに伝えたいことってありますか?
田名網「伝えたいことってない。自分がやっていることで精一杯だから、あんまり人のことに構っている余裕はないの。だけど、京都造形芸術大学に長年携わっていて、束芋みたいな図抜けて優秀な生徒がもう何人もでてきているから、見込みのある学生には一生懸命に教えているよ。」
——どういったことを教えていますか?
田名網「想像力を生みだす方法。表現ってすべてが想像力じゃないですか。想像力豊かな人間になるにはどうしたらよいか。例えば幼稚園の砂場で子供たちが遊んでいる。砂でお団子をつくっていて先生が食べる真似をする。A先生は「おいしい」。B先生は「このお団子ってクリームの味がするね。あなたのはジャム味じゃない?」。そういうB先生の言葉に生徒たちは食いついていく。ただ美味しいって言っただけじゃだめ。そこにある種の具体性を示すことで想像力を刺激する。これは、ある表現力に関する本に書かれていた話なんだけど、すごくわかりやすいよね。僕は絵の描き方や上手く描けるかは教えない。「その絵にたどりつくまでの道筋」を教えるけどね。そこから先は、自分で考えてほしい。想像力をつかってね。全部教えると僕がいなくなったら描けなくなるから。そのきっかけを与えるのが先生で、それを自分で修得した人が自分の仕事に活かしていける。例えば日本の小学校では静物を描く時間に、セザンヌの絵とか見せるでしょ。フランスの幼児教育の現場では、それを良しとしない。何かを描く時に参考になるものを見せちゃいけない。セザンヌの林檎を見せたら、みんなそんな風に描いちゃう。」
——ありのままの林檎を描こうとしなくなる。
田名網「そう。僕は何回も経験しているよ。フランスと日本の小学生100人を集めてレクチャーしたことがあって、その時も想像力がテーマ。4、5人づつグループ分けして1つのきっかけだけ与えて絵をかかせる。日本の子供は、1人が東京タワーを描くとみんな真似して東京タワーを描く。フランスの子は1人がエッフェル塔を描いてもみんな違うものを描く。それは子供のせいじゃなくて幼児教育の違い。フランスでは「人と同じことをしちゃいけない、自分で考えなさい」という教育。全員の絵をシャッフルすると、これは日本の子ってわかっちゃうくらいオリジナリティがない。それは想像力の芽を摘んでしまっているから。美術の学校でも、大昔からの教育と変わりないところもある。」
——その人がもっている視点だったり考え方に価値がありますね。今はネットだったり外からの色々な情報が多すぎて、自分で考えることや想像力を育みにくい時代なのかもしれません。
田名網「想像力って、表現者や特殊な人だけのものではない。あらゆる人間に必要なものだよね。人間にとって最も必要なものなんだ。想像教育とか教育の現場も少しづつ変わってきているけど、まだ想像力より記憶力に力点を置いている。記憶することが不得手で試験の点数が劣っていても想像力がある子は頭がわるいわけではないからね。マラソンランナーがトップを走るイメージトレーニングをするっていうけど、想像力がないとイメージ湧かないでしょ。野球のイチローだって凄まじい執着心をもって毎日トレーニングを重ねている。スポーツマンにとっても想像力は最大の武器になる。」

#6

CHALLENGE
イメージへの距離

——田名網さんの絵は“イマジネーション”から生まれたものですね。ご自身の想像を掘り起こしたり拡張して、表現することに全精力を注ぐ日々?
田名網「アメリカのトップアーティスト、カウズを見てもそうだけど、ケタ違いの仕事量をこなしている。日本のアーティストは名ばかりで展覧会が近づくと1ヵ月位前からちょちょっと描いてという人ばっかりなのよ。欧米のトップアーティストだったら毎日毎日絵を描いていないと追いついていけない。3日休んで1日やるというのじゃ間に合わないわけ。ピアニストだって1日レッスンしないだけで何日分も後退してしまう。遠征先のホテルに布の鍵盤を敷いて必ず練習しているって。「音がしないのに弾いているのは辛い」って言ってたもの。それくらいやんないと、結局追いつかないのよ。」
——自分のやりたいイメージに対して、追いつかないということですね。
田名網「そう、自分のイメージを具現化するのには時間がかかるでしょ。僕は焦りというものはないけど、結構努力しているからね。でも、このくらいの量と質を保つためには、それくらいの時間は必要よ。それは普通のことだと思うけど、日本のアーティストはやっていないよね。一流のスポーツの選手はやっている。アートもスポーツも一緒ですよ。」
——働き盛りの40代の頃、結核を患われて死の淵から生還された体験をされてますね。
田名網「結核で入院していた頃の話だけど、夕方の注射の副作用で夜中になると壁面に恐ろしい幻覚が映る。酷い高熱のせいで夢か幻覚かの区別さえできない。昼間は暇だから、その幻覚を克明に記録していたんです。そんな体験が後年役に立つんだよね。」
——長年「夢日記」もつけていらっしゃいました。
田名網「人間、人生の半分は寝ているわけでしょ。夢の世界を裁ち切っちゃうと、人間50年生きても、夜寝ている25年は死んでいるのと同じ。その残りの25年分の記憶を捨てちゃって、掘り起こさないままだと損じゃない?シュールレアリストは、夢を掘り起こして無意識の世界を具現化した。日本ではもっと昔からそういう文化はあったし、僕も影響を受けている。」

——潜在意識までも取り込む創作生活のなかで見えてきたもの、今の境地とは?
田名網「そんな何にも見えてないよ(笑)。人間ある程度歳をとると、分別もついてって思うでしょ?でも80になっても、そんなことはない。30代くらいからほとんど変わりないもの。考え方が変わってないといえば変わってない。成長していないといえば成長していない。普通、絵なんて描いていると「好きなことやって楽しくていいですね」なんて言われるけど、嫌じゃないけど人がいうほど楽しくてしょうがないってものでもない。やることに対しての苦しさも勿論あるからさ。技術的テクニカルな問題も含めて、やりたい自分のイメージがはっきりとあるから、それにどこまで追いつけるか。若い時より眼も悪くなる、身体も動かない。到達したいところへの距離は縮まらない。今の僕が1日24時間じゃなくて50時間あれば、はやくそこに行けるとも思うけど、人間はそこまでいけずに死んでいく。スポーツは肉体の限界によって到達できないことも大きいけど、絵も同じかもしれない。」
——目標にされているイメージについて教えてください。
田名網「実現したいイメージを100とすると、現時点でせいぜい10くらいのものなのよ。「100のうち90いってます」なんて人は嘘よ。恐れ多いでしょ。北斎だって“百まで生きれば何とかなる”なんて言ってたけど、ああゆう天才だってそうなんだからさ。だから、いくら時間があってもだめなのよ。人生って、そういうもんだから。」
——到達したいイメージを明確に見据えて、おしみない努力と挑戦を続けておられるアーティスト・田名網さんの生き様に深く感銘を受けました。本日はお忙しいなか貴重なお話をありがとうございました。…ところで田名網さんって、江戸っ子ですか。
田名網「えっ、なんでわかったの?(笑)」


※本インタビューは2017年7月4日、渋谷・NANZUKA、青山・田名網敬一アトリエにておこなわれました。